ここから本文です。

復興と震災の記憶

【田野畑村】震災遺構 明戸海岸防潮堤

震災遺構 明戸海岸防潮堤の解説をする、NPO法人 体験村・たのはたネットワークの赤坂広太さん(右)

三陸復興国立公園の、北山崎や鵜の巣断崖など200メートル級の断崖景勝地で知られる田野畑村。
東日本大震災の際には村内の各地区を激しい津波が襲い、死者は24人、行方不明者は15人にのぼったとのこと。村では体験ツーリズムの一つに「大津波語り部&ガイド」を取り入れ、被害と教訓を伝える取り組みを続けています。

東日本大震災津波で破壊された「明戸海岸防潮堤」

 藩政時代の記録、盛岡藩士が遺した「三閉伊日記」には江戸時代の明戸浜の記録が残っています。それによると、浜の南側に巨大な塩釜があったとされ、当時は製塩業が盛んだったことが伺えます。東日本大震災の前は、海岸に面して広い砂浜と、昭和初期に植林されたクロマツの防潮林が広がる海岸でした。周辺にはキャンプ場やマレットゴルフ場、野球場、海産物販売所などが並び、多くの人が訪れるレジャースポットでした。
 このエリア一帯を津波からから守るため、昭和44年に竣工したのが、総延長378メートル、高さ9メートルの明戸海岸防潮堤です。東日本大震災ではマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、三陸沿岸を襲った津波は過去の津波の想定をはるかに超えるものでした。明戸海岸防潮堤は猛烈な勢いの引き波によって、一部を残し粉々に破壊されてしまいました。ここでの津波高は、後の痕跡調査により17.1メートルだったと推測されています。

砂浜が広がる一画に、駐車場や芝生広場が整備された「明戸浜園地」。破壊された防潮堤の周囲の見学路をめぐり、津波の威力を感じられます

自然の脅威と海の人々の暮らしを知る

 田野畑村で、エコツーリズムや観光ガイドを行っている、NPO法人 体験村・たのはたネットワーク。コーディネーターを務める赤坂広太さんに、震災遺構 明戸海岸防潮堤を案内してもらいました。「今回の津波では、明戸海岸防潮堤の効果は発揮できませんでした。自然災害を相手にしたときは、防潮堤や防災設備があるからといって油断してはならないのだと学びました」と語ります。
 明戸浜では、震災から6年後に新たな防潮堤が完成しました。震災前にあった周辺のキャンプ場やマレットゴルフ場なども復旧。穏やかな砂浜の景観が戻りつつあります。津波によって破壊された防潮堤は、東日本大震災の記憶や自然の脅威を後世に伝える遺産として保存整備されました。
 田野畑村では他に、羅賀地区にあった水門も震災を伝えるモニュメントとして保存する見通しです。三陸鉄道の線路や駅舎ごと町並みが破壊された島越地区や、番屋が立ち並ぶ漁村風景が復活した机浜などにも足を運びながら、田野畑村を訪れてみませんか。自然の脅威と海の暮らしについて考える機会が待っています。

日本最大のジオパーク「震災遺構 三陸ジオパーク」のジオサイトでもある「明戸海岸防潮堤」。
田野畑村では大昔の津波の痕跡や、化石が埋もれた地層などをめぐる、ジオパークガイドも行っています

震災遺構 明戸海岸防潮堤、大津波語り部&ガイドのお問い合わせ先 NPO法人体験村・たのはたネットワーク
電話:0194-37-1211
HP:NPO法人 体験村・たのはたネットワーク ホームページ

立ち寄ってみよう

机浜番屋群(番屋エコツーリズム・塩づくり体験)

東日本大震災前の平成18年に、「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」に選ばれた田野畑村の机浜番屋群。昔ながらの漁師番屋を舞台に、地元住民と観光客との交流が行われる場でした。津波で全ての番屋が流失しましたが、全国からの支援を受けて、平成27年に以前の面影をとどめた姿で復活再建。「番屋料理体験」や「海釣り体験」などを行っています。中でも人気は「塩づくり体験」。30分のショート体験コースから、海水を煮る釜の薪割りも含む7時間の本格体験コースまで楽しめます。

塩づくり体験1
巻き割り
塩づくり体験

取材・編集

新里真美子(編集工房Kuva)