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復興と震災の記憶

【大船渡市】茶茶丸パーク時計塔・市民体育館前屋外時計

「茶茶丸パーク時計塔」と大船渡市防災管理室の鈴木文武さん

東日本大震災では死亡者340人、行方不明者79人という被害を受けた大船渡市。
建物被害は5,592世帯に及び、震災直後は約9千人もの市民が避難所での生活を余儀なくされたといいます。壊滅的な被害を受けた中心市街地にあった時計塔が、新たに整備された「夢海(ゆめみ)公園」の一角に設置されています。

海を感じ夢を持つ場所、市民の公園

 「夢海(ゆめみ)公園」は、平成31年4月27日に新しくオープンした、大船渡駅からほど近い市中心部の公園です。名称には大船渡の象徴である海を身近に感じ、夢を持てる場所になって欲しいという願いが込められています。公園周辺は東日本大震災の津波で大規模な被害を受けたエリアですが、震災後から区画整理が行われ、現在はレストランやカフェ、お土産店などが並ぶ商業エリア「キャッセン大船渡」を中心に、賑わいがあふれる地域に生まれ変わっています。
 夢海公園にはカラフルな遊具や休憩できるベンチが置かれており、周りを囲むように県外から寄贈された桜の木が植えられました。公園整備を担当した大船渡市市街地整備課の金野尚一さんによると、「震災前、公園わきを流れる須崎川(すざきがわ)の両岸には桜並木がありました。再び同じ場所でお花見ができるように、桜の木が植えられています」とのこと。桜のほかにも様々な広葉樹が植えられたり、芝生広場が整備されたりと、新緑から紅葉まで目を楽しませてくれそうです。

大船渡市大船渡町に整備された夢海公園

震災津波関連資料を管理する大船渡市防災管理室の鈴木文武さん(右)と、公園整備を担当した大船渡市市街地整備課の金野尚一さん(左)

津波の記憶を風化させないために

 夢海公園の入り口から一番奥の一角には、震災津波の記憶を後世に伝える「茶茶丸パーク時計塔」が設置されました。震災前、町の中心だった大船渡駅すぐそばの商店街。その商店街の中に、ちょっとした広場のような公園があり、市民は「茶茶丸パーク」と呼び親しんでいました。広場には時計塔がありましたが、平成23年3月11日15時25分。津波に飲まれ、壊れてしまいました。大船渡市では、震災後に発見された壊れた時計を、津波の記憶を風化させないためのモニュメントとして、夢海公園に移設整備を行いました。
 夢海公園は今後、屋外コンサートが開かれたり、市内の保育園児が遠足に訪れたりする場所になっていく予定です。また、大船渡駅や商業エリアを利用する、市外県外の観光客の憩いの場としても活用されていくことでしょう。「茶茶丸パーク時計塔」は、地元の未来を担う世代に向け、物言わぬ語り部として、震災の記憶を受け継いでいきます。

津波で壊れたままの姿が保存されている「茶茶丸パーク時計塔」。津波が襲った15時25分を示しています

地震の揺れの激しさを物語る屋外時計

 夢海公園から車で約5分ほど。盛(さかり)川に沿って内陸に向かった先の、盛町にある大船渡市民体育館にも、震災の記憶を伝える時計があります。こちらの「市民体育館前屋外時計」は、平成23年3月11日14時46分。東日本大震災のマグニチュード9.0の揺れによって止まりました。当時、大船渡市では震度6弱を記録。かつてないほどの、大きくて長い揺れでした。保存されている屋外時計の隣には、震災後にオレンジ色の時計が設置され、新たな時間を刻み始めています。
 「この市民体育館の周辺は、海からの津波と、盛川を遡上し堤防を乗り越えた津波、両方向からの津波に襲われました。体育館も浸水しましたが、その後復旧し以前のように使われています」と、鈴木さんが教えてくれました。

大船渡市盛町にある、大船渡市民体育館。
道路沿いに2つの屋外時計が並んでいます

白い文字盤の時計が、震災津波関連資料として保存されている「市民体育館前屋外時計」。「震災遺構」の案内板が設置されています

茶茶丸パーク時計塔・市民体育館前屋外時計のお問い合わせ先 大船渡市総務部防災管理室
電話:0192-27-3111

立ち寄ってみよう

三陸ジオパーク

BRTが運行しているJR大船渡駅。駅前に設置されたのが、「三陸ジオパーク」の案内板です。ジオパークとは、大地の成り立ち、自然や生態系、人の暮らしと文化や産業などを丸ごと楽しむ「大地の公園」のこと。大船渡市を含む三陸ジオパークは、日本最大のジオパークに認定されています。大船渡市が誇る景勝地「碁石海岸」の「乱曝谷」、「雷岩」、「穴通磯」などのジオサイトを巡りながら、三陸の魅力を体感してください。

三陸ジオパーク

取材・編集

新里真美子(編集工房Kuva)