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三陸応援メッセージ

宮川大助・花子からのメッセージ(宮川大助さん、宮川花子さん)

画像:3人の集合写真

復興応援篇

震災以降、岩手県沿岸各地を数多く訪問し、復興支援活動を続けている宮川大助さん、宮川花子さんに、震災が起きたときの印象、岩手を訪れる思いについて伺いました。

花子2011年3月11日、その日は鮮明に記憶の中にあります。自分たちにとってはすごい日だったんです。文化庁から「芸術選奨大賞」をいただきまして、朝の10時から記者会見をしていたんですよ。

画像:宮川花子

大助200人くらいが集まるような大きな記者会見で、僕らもそういうのは初めてだったんです。

画像:宮川大助

花子漫才が芸術、ということですっごい喜んでいまして。知り合いのテレビキャスターの人も来て、「3時のニュースで僕が読みますからね!」と言っていただいたりして。「ありがとう、楽しみにしてますわ!」と言うてる2時46分に、ばーんと地震が来て。

画像:宮川花子

大助その時間はちょうど、NGK(なんばグランド花月)で舞台を降りて、楽屋で着替えて、舞台をほどいているときに、ゆっさゆっさと揺れたね。大阪だとそんな感覚やったね。それでロビーに行って「おい、どこや地震は」と言うたら、「宮城の沖で10メートルくらいの津波が来そうとテレビで言うてるんです」と。「10メートルの津波? そんなアホな、そんなんまず来るわけないやんか!」みたいなノリで数人と喋っとって。そしたらテレビで被災地から(津波の)中継があったところで、「うわあー!」いう声が出て。その声で吉本新喜劇のメンバーも皆んな集まってくるし、ロビーがもう人の山でしたね。
「うそやー」とか。テレビでは、津波が逃げる車をずうっと追っかけるシーンとか、そんなん「逃げろ―!」とかもう……皆、絶叫でしたね、テレビ見ながらね。

画像:宮川大助

震災後の復興支援、岩手とのつながりについて

大助最初は、3年ぐらいのつもりでおったんや。「じゃあ、がんばって3年行こうか」って言うて。そんで現場に来たら、「これ3年で……(どうにかなるの?)、これどうなるの?」と。ほんで聞いたら、仮設住宅の入居予定が7年ぐらいだと。それを聞いて、今は復興マンションみたいなとか、一軒家さんに皆さん行かれてますよね。ほならその仮設のある間、じゃあ頑張って行こうかみたいな。
 (被災地の避難所や仮設住宅で)皆が共同に生活して、助け合って生きてるときに、皆さんが一同に僕らに話されたのは、「感謝してます」って。「全国の皆さんとかいろんな支援をいただいた人達に、思いを寄せてくださる人達に感謝をしています」と。自分達は最初のきっかけは、たまたまあったマラソンチームで、「行って皆で一緒に走ろうぜ」って言うて(被災地に来てみた)。もう現場が全然違う雰囲気で、現場に行ったらもうひっくり返って。大船渡見てひっくり返って。帰りに陸前高田見たとき、もう唖然としてしまって声も出ない……もうそういう状況で7年経ちましたですね。
 いま、一つずつ活気が出てきて。うん。復興と防災の姿が、僕らから見ても見えるようになりましたしね。

画像:宮川大助

花子ちょうど、三陸鉄道が163キロ(久慈市「久慈駅」から大船渡市「盛駅」まで)今度つながりますやん。あの「じぇじぇじぇ」の町、久慈からずうっと下りて来て、大船渡まで。全部(の市町村に)行ってました。「わぁー、これ全部行ってたよねー!」って上から下まで。
 今ね、私達は大船渡市の「復興応援特別大使」に任命していただきまして、それが普通なら、何年とか書かれるのが契約ですやん。それが、但し書きが書いてて、「もうこれで復興終わりました、となる時までです」って書いてあるんですよ。だから「早く終わって欲しいなあ」と言ったら、皆が「えっ嫌なんですか?」言うから。「違うの、早く終わるってことはもう復興終わったいうことやから、一日も早く終わらしてほしい」って言うて。だから、自分では日にちを決めてないです。
 すごい嬉しいことがひとつあるんですけど。彼(大助)は鳥取出身で、自分は大阪で、今は奈良に住んで永住の地になってるんですけど。その二人に、もう一つ故郷ができたんですよ。花巻(空港)に来るときも、マネージャーや色んな人よりももう知ってるから、「あそこでこうやで、降りるのはこっちやで」って私が先に言うんですよね。「飛行機ちっちゃいねん、あれ分かってんねん」とかね。(飛行機から)降りたときに面白かったのは、(花巻の人に)「いらっしゃい」って言われないんですよね。「今日はどちらですか?」って聞かれて、その言葉がうれしくって。普通なら「岩手へようこそ。いらっしゃい」と言われそうなところを、そんなんやなくて、「今日は花子さん、大助さん、どちらへ行くんですか?」って。「今日、山田町のほうへ行くんです」、「ああ、そうですか」この会話がね。自分の第3、第4の故郷に、二人で共通の故郷に来てるような感じで。(岩手の)皆が離そう思っても離されないんですよ。フフフ。

画像:宮川花子

三陸の皆さんへのメッセージ

花子はーい! 皆さーん、がんばっぺし。やってはりますな。最初の頃は「頑張れ、頑張れ」とか思いましたよ。もう頑張ってはるもん。このまま行きましょ。逆に私達もね、その間にね、病気したり、なんやかんやあってな、くじけそうになった時もあるんですよ。でも皆様のこの頑張り。逆に私達が、勇気をいただいておりますよ。私達も負けずに皆さん方に勇気、元気を与えるようにやりますので、皆がんばっぺしー!!

画像:宮川花子

三陸の魅力篇

岩手三陸の食、景観など観光の魅力や、地元でのふれあいについて伺いました。

花子岩手はですね、まず食べ物が美味しいのでビックリしましたわ。あのメカブみたいなのとか、なんや知らんけど、冬になったらウニとかね、送ってくれはるんですよ。こんな贅沢なものが流されてたんか、もったいない、と思って。
 東北の人ってあまり知らなかったんですよ、私は関西人ですから。でも自分にとっては他人のような気がしなくって。平泉やったかな、この間初めて行かしてもらった……岩手って広すぎるわ。ちょっと行くので、えらい(大変)……観光では来たことなかったんですよ。もう(復興支援活動に)必死やったから、必死で一軒でもぎょうさん回りたかったから、仮設をね。だからこの間、平泉に(観光で)行って、「えらいええとこあるなあ」と思ったんです。でも一番最初から、来たときにはとりあえず温泉に入ってから行ってたんですよ。というのは、落ち込んだら嫌やったから。一緒に来る子も。強靭な人間はなかなかないですからね。一緒に来る子も、みんな自分のことのように、すぐ(被災地を訪れると)「うう~、ああ~」って泣くから、「まず温泉入ろ。ゆっくりしよ」って言うてたんです。「温泉に入ること、これも復興やで」と。ここにお金を落として行く。どこそこに行く。観光が一番の復興やから、とりあえず怖がらずに、(温泉に入ったり)観光行こうっていうことを一番にした。ええとこいっぱいあるもん。

画像:宮川花子

大助(岩手の魅力は)海の幸と山の幸で。ほで、あのリアス式海岸のほら、もう絶景ですからね。はい、やっぱりこちらはね。

画像:宮川大助

花子きれい。あと三陸鉄道には、ほんとに乗って欲しいと思う。(三陸鉄道に乗っている)途中、停めてくれはるじゃないですか。「何してんのや、はよ行け」とか思った。大阪人ですから。やらしいけどね。ところが「見てください」って(窓の景色を)見たら、「ひぇ~、きれい~!」って。良かったです。

花子あとは、海で船に乗してもらったときに、「あそこ何ですのん? 色変わってるとこ」と。海から上のほうを見て。(船長さんが)「あそこまで波が来ました」って。それを聞いて「えー! 腹立つなあ、この海は。何ちゅうことしてん」言うたときに、地元の人が一言、「やっぱり私達は海が好きです」って。「海が悪さをしたんじゃないんですよ」って。こう言われて、「ああ、私ら部外の人間が、このきれいな海をバカにしたりとか、悔しいとか、恨んだりしたらいかんな」と思って。でも怖かったですよ、最初は。だから、「腹立つ〜、この海のせいでこんななった」とか思うてしもたね。ぱっと、そこにあった色紙を見たら『やっぱり海が好き』って書いて……ああ、あたしがもっともっとここの土地になじんで、もっともっと来たいなと思った。そうすれば、やっとその人達の歩んできた気持ちも、ちょっとは分かるんかなと思っております。うん。

画像:宮川花子

「三陸防災復興プロジェクト2019」によせて

宮川大助・花子皆さーん、2019年、夏、岩手三陸で会いましょー。いぇい!!

プロフィール

画像:宮川大助・花子
宮川大助・花子

震災以降、岩手県沿岸各地を数多く訪問。若手芸人を含む「宮川大助・花子ファミリー」が無料で漫才を披露したり、マラソンチーム「吉本ナショナルDreams」が東北各地のマラソン大会に参加するなど広く活動。おおふなと復興応援特別大使(2013年6月より)